「北九州・福岡・広島」旅行

 12月22日〜24日にかけて、2泊3日の旅行に出かけた。今回は北九州〜福岡〜広島と3つの都市を回ったが、いずれも初めて訪れる場所であったため、新鮮で実り多い旅となった。

 北九州市八幡製鉄所以来の工業都市であり、現在は従来のものづくり産業偏重から、それと共存する形での環境先進都市へと脱却を図ろうと、様々な取り組みを行っている。小倉駅周辺では、緑地が広がる街中にモノレールが走り、その背景に広がる青空に屹立する煙突は、この都市を象徴している風景だと思う。重化学工業と環境との両立は、今や世界的な課題であるだけに、今後の北九州の動向に注目していきたい。

 福岡市は想像以上の大きさだった。人口規模でいうと、147万人の京都市とそれほど変わらないものの、街の活気は大阪のそれに匹敵するものを感じた。今後も人口の集積が続くであろうこの街では、いかに都市としての魅力を育み、個性を創出するかが問題だと思う。外から来た人間として真っ先に目に付いた、屋台の連なりや、井上陽水ら、著名なミュージシャンを多数輩出したストリート文化などを大事にしていくことが鍵かと思う。

 また、両市に共通していえることだが、立地の観点からアジア諸国との関係が非常に密である。例えば、福岡から釜山まで、フェリーで2時間強で行くことができる。事実、福岡を訪れる外国人観光客のおよそ75%がアジアからであり、港の貿易額の75%もアジアが占める。アジアとの経済関係が今後ますます重要となってくるなかで、この立地は大きなアドバンテージとなる。

 この2都市では、市の産業担当の方々から、直接ご説明いただくことができ、大変勉強となった。お忙しいところ、お時間を割いていただいた両市職員の方々にお礼申し上げたい。

 所変わって、広島市で、こちらも中国ブロックの中心都市だが、福岡に比べるとやはり落ち着いた印象であった。個人的には、これぐらいの規模のほうが暮らす分にはよいのではないかと思う。人口規模としては、117万人といったところで、政令市の中でも多いほうかと思うが、雰囲気としては先述の北九州や仙台に似ているように思える。街全体が良い意味でコンパクトにまとまっているのではないだろうか。

 こちらは、特に誰に会うでもなかったため、観光客気分を隠すこともなく、宮島・原爆ドーム平和記念公園あたりを闊歩した。

 宮島は広かった。海に浮かぶ鳥居はやはり印象的で、日本三景の名に恥じないものだった。日本三景では、天の橋立だけまだ見たことがないので、京都にいる間に見に行こうと思う。

 月並だが、原爆関連の施設では色々と考えさせられることが多かった。しかし、それは“26歳の今”訪れたからこそ得られた感慨なのだろう。平和記念公園内の資料館があるのだが、こういった施設は例えば小中学校時など、まだ幼い時分に学校行事で訪れることが多いと思う。それはそれで大事だと思うが、ある程度の経験を経た年齢となって訪れるた際に受ける、違った印象も重要ではないか。生涯教育の大切さを実感した。

 さて、旅行は概略以上のようなものだった。今回は、職場の上司でもある父が、自主研究会の一環として、福岡・北九州の職員の方々から産業政策についてのお話を聞く機会があるということだったので、勉強のためにそれにくっついて行ったというところが本当のところである。旅行自体とは直接関係がないが、今回強く感じたことがあったので、ここに記録しておきたいと思う。

 我々、自治体の職員は、それぞれの都市や地域をいかに活性化させていくかを考える必要がある。そのために、常に「我がまち」のアンテナを張って世の中を観察することが重要であることはいうまでもない。僕であれば、「京都市」というアンテナを尺度として物事を観察する。しかし、同時にそれが「色眼鏡」になってはいないだろうか。我々は、国家公務員や企業と異なり、一般市民に最も近い仕事を行う。そのため、より良い政策を立案するためには、市民の感覚に根ざした思考をする必要がある。そこにこそ、自治体職員が独立して存在する意義がある。普通の市民は普段、物事を考える際、自分の住む地域をそこまで意識していないだろう。アンテナが優れているがゆえに、かえって色眼鏡化して、市民感覚を歪めはしないだろうか。

 少し肩の力を抜き、バランスの取れた視点で物事を観察することが大切なのではないかと思う。もっというと、何が何でも「京都市」という窓を通して考えることを続けていたら、人生楽しくないと思う。自分らしい見方から生まれる創造性を、今後はもっと大事にしていきたい。