被災地を案内することの難しさ

 宮城県庁に転職してから、県外の友人や親戚に被災地を案内する機会が何度かあった。
 僕が案内した方々の訪問動機は皆ほぼ共通で、概略、「被災地のために具体的な支援ができるわけではないが、自分の目で東北の状況を見ておきたい」というものだ。

 依頼があると、まずどこを案内するべきかを考える。被害の甚大さを伝えるためには、沿岸部。震災後の被災地の方々の頑張りを伝えるならば、復興商店街や再建しつつある工業地帯。いずれも是非見てもらいたい場所だ。
 しかし、被害の悲惨さを誇るような説明はしたくないし、美談にするのも違うと思う。また、仙台市などは沿岸部を除いて震災前の賑わいをすっかり取り戻しているため、東北全域で復旧が全然進んでいないという誤解を与えたくもない。被災地を案内することは、なかなか難しい。
 案内した方の中には、「何もできないのに案内してもらって申し訳ない」という趣旨のことを仰る方もいるが、そんな必要は全くない。こちらで見て感じたことを、ほんの少しでも心の隅に留めてもらうだけで十分だ。関心を持ってもらうこと。それだけで十分支援になっている。

 案内する際にいつも感じることは、自分自身がいかに被災地について無知であるかということだ。例えば、津波で市街地のほとんどを失った地域の住民は、今どこに住んでいるのか。復興商店街の運営は、誰が行っているのか。何もなくなってしまった土地で、今後どういったまちづくりが計画されているのか。
 何気ない質問の一つ一つから、気づきを与えてもらっている。案内することから学ぶことはとても大きい。